〜略歴〜
慶応義塾大学文学部卒業後、Saint.Paul Universityにて教育学博士号を取得。
2000年、バチカン市国にて催されたミレニアムの祝宴に招かれ、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世に謁見。長年のキリスト教圏における慈善事業活動が高く評価され、日本人で5人目の『バチカン有功十字勲章』を授与される。
2010年、チベット仏教の生き神様としてチベット人の尊崇の的であり、ダライ・ラマの師である、ゲルク派ガンデン・ティパ102代法王に謁見。モナステリー(男子修道院)にて修行。阿闍梨の称号を賜る。 また、同年、日本の教育界に貢献した功績により、東久迩宮文化褒賞を受賞する。
なずな塾主宰、国連NGO加盟団体 世界連邦日本仏教徒協議会理事の他、(社)日本ペンクラブ、(社)日本文藝家協会、(社)日本文芸振興協会、(財)国策研究会などに所属
〜久慈倫太郎 という作家名〜
私が名乗っている「久慈倫太郎」という作家名は、かつて、私の師でありました、遠藤周作先生より名付けていただきました。
かれこれ、30年以上も前のころになりましょうか。師に付き学びを重ねていたころ、また、作家としての活動をしようと決意を重ねつつあったころ、その日の夜も、とある銀座の文壇バーへお供をしておりました。
その夜も、ゆったりとウィスキーのグラスを傾けていたとき、師は私の顔をまじまじと眺め、「君は『久慈倫太郎』という名前が相応しいと思う」とひと言をくださったのです。
永遠に、久しく、慈愛の想いと共に愛しまれ、己が生み出す作品を通じ、神から生命を授かっている”ひと”に、人の生きる道を考え、そして、説くことを人生の主題として生きなさいとの想いから、そのような名前をくださったものでしょう。
名をいただいた際の、目前の輝きたるや、まるで魂を新たに、その作家生命を鼓舞されたかのような美しさに満ち溢れました。
無論、父と母から名付けていただいた誇り高き実名は私にもありますが、世の人のために生きる活動をするうえにおいては、今後とも引き続き、先生からいただいた名を魂に掲げながら、生きてまいりたいと、そう、思っております。
〜Office Kuji Rintaro 三本の柱〜
毛利元就の三本の矢の話は言わずもがな、一本一本の矢は脆くとも、三本重なると
折れないことを表した名言。
では、人生における「三本の矢」とは一体なんだろう?と考えておりましたところ、神さまより日頃与えてくださっていた「アカデミアスコラ」と「くまのプーさん
倶楽部」と「慶應投資倶楽部」がそれにあたるのではと、この度、左記の名称を
付けることで具現化し「Office Kuji Rintaro」の活動の三本柱といたしました。
併せまして、私の母校である「慶應義塾」の創設者、福沢諭吉先生に於いて
「学問を修める過程の中で、智徳と共に気品を重視し、社会の先導者に相応しい
先導者を志しなさい」と、残されたことは、世間によく知られております。
先生の偉業は、慶應義塾の創設のみならず、あらゆる社会的立場の人が分け隔てなく交流することを目的に創られた会員制クラブである「交詢社」、そして政府や政党に偏った立場をとらず、独立した見地から主張すべきを主張することを宣言して発行
された「時事新報」の2つを加えた、三本柱の事業であるとも言われております。
先生の三本柱は、日本という国が、生活と政治共々、大きく変わりつつあった明治
の時代における柱でありますが、今もなお、様々な方が引き継がれている先生の志を、一塾員である私も、引き継げたらと思う所存です。
そして、物質的豊かさに満ち溢れ、同時に、こころや精神、魂というものを、より
深く皆が考えるようになっているこの令和の時代に、できる限り、いかなる生活を
送られていらっしゃる方々においても、人間として生まれたこの世界で、しあわせを感じながら、人生の時間を過ごせるよう、私の三本の柱の概念と活動を通じて、
皆様の一助になれましたら幸いです。